看護師父さんの仕事と生活の記録

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zoom RSS 大往生したけりゃ医療とかかわるな 中村仁一

<<   作成日時 : 2012/03/26 08:28   >>

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大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)
幻冬舎
中村 仁一


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老人ホームの医師が、
最後まで医療漬けで死んでいく人と、
あまり医療を受けずに死んでいく人を比べて、
考えたこと。

みもふたもない話が多いけど、
自分や、自分の大切な人の死に際について考えるには、
参考になる本だと思った。


看護師としても、
毎月数名の人が亡くなるような現場で働いていて、
医療を行うことが、その人自然な死を妨げているのではないか?
と、感じることはあるけど、
一方で、
それは本当に死に際なのか、まだ助かる余地があるのか?
という判断は、
そう簡単にはできないことだろうとも思う。

本当にそれを決められるのは「神」だけなのかもしれないけど、
それを「神」の役割として思考停止するのも、
ある意味では「逃げ」なのかもしれない。

医師は時に、
「神」に近い判断まで迫られるわけで、
つくづくすごい仕事だなと思う。



本書より、
特に参考になったと思う部分。




医師について。

世間では、家族や知り合いが開業医や小さな病院で診てもらっていて、経過がはかばかしくない時に、「だめ、そんな小さなとこにかかっていては。もっと大きなところへ行かなくっちゃ」というのがふつうなのですから。p4

医師として、
小さな病院、もしくは開業してやっていくというのは、
かなりの経験と覚悟がいることだと思うので、
そういう病院にいる医師を、
甘く見てはいけない。


世の中で一番怖がりは医者でしょう。それは悲惨な死ばかりを目のあたりにしてきたせいだと思います。p5

死生観は、
人の死に際をみることによって変化するものだと思う。

なので、
医師には意思の死生観があり、
看護師には看護師の死生観がある。

それが、
おじいちゃんおばあちゃんまで健在な普通の人(人の死に際を見た経験が少ない人)の死生観と、
同じものになることはないだろう。

看護師としては、
自分の死生観が普通の人のそれとは少しずれているのかもしれない、
ということを、
肝に銘じておかないといけないと思う。



死について。

「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。p5

「自然死」は、いわゆる”餓死”ですが、その実態は次のようなものです。
「飢餓」・・・脳内にモルヒネ様の物質が分泌される
「脱水」・・・意識レベルが下がる
「酸素欠乏」・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される
「炭酸ガス貯溜」・・・麻酔作用あり
詳しくは次の章で述べますが、死に際は、何らの医療処置も行わなければ、夢うつつの気持ちのいい、穏やかな状態になるということです。これが、自然の仕組みです。自然はそんなに苛酷ではないのです。p49


この部分を読んで、
個人的にはとてもホッとした。

それは病院において、
壮絶な死に方を見すぎているせいだろうな。




死に際について。

よく「みんなにかこまれて死にたい」と口にされますよね。しかし、病院の臨終の場面を、よく思い起こして頂きたい。親戚、縁者が大勢ベッドを取り囲んでいるが、誰一人として死にゆく人間を注視していない。みんなが枕元のモニター画面に釘づけなんだわサ。
昔だったら、脈をとっていた医者が「ご臨終です」といった途端、「おばあちゃーん。」とすがりついて泣けたもんじゃがの、しかし今は、モニター画面の波がピーと平らになったので、「おばあ・・・」といいかけると、波がピョコッとでる。また、しばらくして波が平らになったので、今度こそと「おばあ・・・」といいかけると、またピョコッとでる。これを4、5回やられると涙は引っ込むし、後ろの方では遠い親戚が「しぶといわねェ」なんか口走るし仕儀になる。
あれは、ほんとに罪な装置だわサ。これこそまさに、みんなに囲まれながらの”孤独死”といっていいのではないんかいの。p59


このようなことは、
看護師としてもよく経験する。

モニターの変化に一喜一憂してしまって、
臨終の場面を安らかに迎えられない。

これでいいのかなと、
そういうことがあるたびに思う。




胃ろうに対する考え方について。

胃ろうが実施される理由としては、医療者側の、できることはすべてしなければならないという使命感、また、家族側の、しないと餓死させることになる、見殺しにはできないという罪の意識があると思われます。
この背景には、「死」というものを全く考えていないという事情があります。いくら年をとっていても、まだまだ先と思っていた親の死が、いきなり目の前につきつけられるわけです。混乱します。そして、こんなはずではなかった、こんなことなら、もっときちんとかかわりを持っておくべきだった、もっと親孝行しておくのだったという、自責の念から延命措置である強制人口栄養に走るのが大部分と思います。p68


残される人間が、自分たちの辛さの軽減のため、あるいは自己満足のために死にゆく人間に余計な負担を強い、無用な苦痛を味わわせてはなりません。医療をそんなふうに利用してはいかんのです。p80

このことは、
そうなる前に充分考えておかないといけないことなのだと思う。

ただひとつ、
胃ろうを選択しなかったからといって誰にも罪はない、
ということは、
はっきりとさせておかないといけない。




最後に、
フランスで死に際の考え方。

フランスでは「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、あとは牧師の仕事です」といわれているそうです(「枯れるように死にたい」田中奈保美著、新潮社)p80

この考え方は、
いいなと思う。

しかし日本では、
「牧師」の部分の役割を担える人がいない。

その部分が、
医師、医療を利用する個人、そしてその家族に、
のしかかっている。





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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
モニターについて、強く賛同します。
以前緩和ケア病棟で働いていたときは、
滅多に付けませんでした。
病棟の特殊性なので、
あたりまえと言えばあたりまえですが。
一般病棟でも家族がそろった時点で、
外してもいいのではないでしょうか。

以前、緩和ケア医に
「この人にベッド柵はいるの?」と質問されて、
一斉に柵を外した経験を思い出しました。

一般病棟でもやれる事って
いろいろあると思います。
ホスピスは場所ではなくて考え方だと
常々思っていますが、
浸透するのは難しいでしょうかねぇ。
和みの風
2012/03/28 04:45
昨年、姑を送ったのですが、具合が悪くなってから、2週間と少し、親族にも会えて、孫や孫嫁に痰の吸引をしてもらったり、ひ孫に涙をふいてもらったり、最後は息子、嫁、孫、看護師さんに見守られながら、大きな息をしたなあ、、、と思ったら、あとは呼吸が止まって、静かな最後でした。認知症があったけど穏やかな日々で皆さんによくしてもらって、私は何とかいい最後を見送れたと思ってます。
医師から老衰ですね、苦しまなくてよかったですよ。と言われました。95年生きてきて穏やかな最後をむかえられたのは本人の運命のように感じてます。紹介された本は読んでませんが、立場が違えばいいろいろな考え方があってもいいのでしょうね。
絶対という答えはないと思います。
吾亦紅
2012/03/28 21:20
看護師12年目の(自分も3歳の子供がいます)現在はICUの病棟に勤務しています。たまたまブログを拝見してコメントさせていただきました。テーマとは異なりますが今、目標も見失い自分のやりたいこともわからず過ごしています。父としても看護師としても自信を持つことができません。家庭と仕事の両立など更々です。プログ拝見して色々参考にさせていただこうと思います!

だいき
2012/03/29 12:34
昨日もひとかた、モニターをつけたまま見送らせていただきました。家族の方も、モニターの変化に一喜一憂することなく、とても穏やかな感じがしました。モニターを外すという考え方は、確かに必要なことだと思います。外すタイミングが難しそうだなとも思いますが、家族がそろったら、というのは一つのポイントではありますね。
私の知っている医師には、モニターの波形が、明らかに無脈性電気活動(PEA)になった段階で、「もう心臓は動いていませんので。」と、言って、モニターを切る人がいました。一般の病棟などでは、それも一つのタイミングかなと思います。
もり
2012/03/29 15:59
ショッキングなタイトルではありますが、この本の全体としては、「医者にはかかるな!」と押し付けるようなものではなく、自分や自分の家族などの死に際について考えるきっかけになる、という感じのものでした。
普通に生きていいて、考えるきっかけというのは、”身近な人の死”、ということが一つあると思いますが、それは何度も経験できることではないので、人の死に際をたくさん見てきた人の考え、というのを知るのも、大事なことかもしれないなと、思いました。
もり
2012/03/29 16:10
だいきさんはじめまして。
私は看護師暦10年です。少し遠回りしたので、年齢のわりに看護師暦は短めです。
父親としても看護師としても自信があるわけではないですが、家族と一緒にいられることが、とても楽しいですし、喜びです。
仕事では、「できるだけ早く家に帰る」という目的のもと、業務改善的なことをチョコチョコとやったりしています。(目に見えた効果は特に上がっていません。)

書くことだけは好きなので、それほど人気は全然上がらないまま、ブログ暦だけは結構長くなりました。

そんな感じですが、よろしかったらこれからもよろしくお願いします。
もり
2012/03/29 16:23
返信ありがとうございました!私の病棟でも(心臓外科の専門病棟であるためか)心臓が動き続ける限りは、ましてやPCPS を回し続けても延命を続ける事があります。家族の方にもどう接してよいのか分からなくなることが多々あり疑問に思っています。死に対する考え方を自分なりにでもしっかりと持っていないといけないですね
だいき
2012/03/29 20:19

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