看護師父さんの仕事と生活の記録

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zoom RSS 今日が人生最後の日だと思って生きなさい 小澤竹俊 (著)

<<   作成日時 : 2017/05/05 22:56   >>

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個人的に、もうすぐ40歳になるので、
こんな感じのタイトルの本をよく読んでいる。

仕事でも、
看取りをすることがしばしばある。

ただ、
タイトルのようなことを言われても、
そう簡単にできることではないと思う。

自分が死ぬことを想像するのは、簡単なことではないし、
どんなにがんばって想像してみても、
その時になって感じることとは、やっぱり少し違うのだろうと思う。


本書を読んで参考になったと思うところ。

未来を失うと、多くの人は、現在、目標としている夢や、今を生きる力を与えてくれる楽しみをも奪われてしまいます。
一般的には、未来を失うということは、今を生きている意味を失うことであり、今をしっかり生きられなくなることでもあるのです。
そう考えると、「明日、ご飯でも食べに行かない?」「今週末には桜も満開だろうからお花見に行こう」「来月公開の映画のチケット、取っておいたよ」といった会話を交わせるのは、とてつもなく幸せなことだとわかります。p41


当たり前に思えることも、
ほんとはとても幸せなことだということ。



「選ぶことができる自由があること」は、自分らしく生きるうえで、不可欠な要素です。
選ぶことが出来る自由が損なわれると、人はときとして、自分の存在価値を認めることができないほどの苦しみを味わうことになります。
自力で用が足せないからといって、周囲の人たちが勝手におむつの使用を開始したり、本人の希望を無視して世話をする人を決めてしまったりするのは、その人らしく生きる権利のみならず、ときには生きる気力すら奪うことになるのです。p45


勝手におむつの使用を開始するのは、
たいてい看護師だな。



私がこれまでに看取りに関わった患者さんの中には、幼いお子さんを残していかれる方も、たさくんいらっしゃいました。
そうした方々の多くは、決してお子さんに「地位や名誉を手にしなさい」「お金をたくさん稼ぎなさい」などとは言いません。
女親であれ男親であれ、会社員であれ経営者であれ、みな「勉強はそこそこでもいいから、人に愛されてほしい」「周りの人と支えあって生きていってほしい」と望むのです。p63


本当は自分がもっと愛してあげたかったところを、
それができなくなるわけだから、
そう考えるのは自然なことだと思う。



まずは、「自分が、解決できない苦しみを抱えている」という事実を認め、受け入れてみましょう。
その上で、「苦しみを抱えながら穏やかに生きるにはどうすればいいか」を考えたとき、きっと自分にとって大切な存在、支えになってくれる存在に気づくことができるはずです。p94


苦しみをいかに解決するか、乗り越えるか、ではなく、苦しみから何を学ぶか。
それこそが人生において、もっとも重要なことなのではないかと、私は思います。p94


「苦しみ」が、自分にとって大切な存在や、その他いろいろなことを教えてくれるという考え方は、
苦しい時の気持ちを少し楽にしてくれるなと思った。



最初は話を聞いていたのに、気がつくと、自分の体験やアドバイスを話してしまっている。
相手が話していないことまで勝手に自分の頭の中で想像して補い、わかったような気になってしまう。
そんな人は、案外多いのではないでしょうか。p107


話を聞くときには「相手は、自分とは違う人間である」と認識し、先入観や思い込みを捨てる必要があります。p108

誰かの話を聞くときに、
肝に銘じておかないといけないことだなと思う。



苦しんでいる人は、誰にでも苦しみを打ち明けるわけではありありません。
自分の苦しみをわかってくれそうな人、言葉を変えると「暇そうな人」を選びます。
ですから、苦しみを抱えている人がいたら、できるだけ「この人、暇そうだな。こちらから声をかけてみようかな」と思ってもらえるような雰囲気を作ります。p109


いつも忙しく働く看護師は、
そういう雰囲気をなかなか作れないだろうな。

忙しさの度合いとしたら、
医師よりはマシかもしれないけど。



「誰かの支えになろうとしている人こそ、支えを必要としている」p119

誰かを支えるということは、
そう簡単なことではないという意味と、
誰かを支えようとすることで、実はその人自身が支えられているという意味と、
両方あるのだと思う。



私は、死が目前に迫った患者さんに対し、ご家族の方や周囲の方から「語りかけ」をしていただくようにしています。
「耳には聞こえていますから、どうぞ声をかけてあげてください」とお願いするのです。
その際、たとえば、患者さんが高齢の男性の場合には、「おじいさんが話せたとしたら、今、息子さんや娘さんに、どのような言葉をかけると思いますか?」とご家族に訪ねます。
もし「おじいちゃんは、『おばあちゃんをよろしく頼む』『兄弟仲良くやっていけ』という気がします」という答えが返ってきたら、「では、『おばあさんのことは任せてください』『兄弟仲良くします』とおじいさんに言ってあげてください。その内容があっていたら、きっとおじいさんは『そうそう』『そうなんだよ』と頷きますから」と伝えています。p135


現場でこういう語りかけが自然にできるような看護師に、
なれたらいいなと思う。



一度、老衰などにより自然な形で最後を迎えた人を看取ると、多くの人は、死が非常に穏やかであることに驚き、恐怖心を手放します。p147

病院ではなかなかないことだなと思う。

反対に、
最後まで医療を尽くして亡くなられた人を看取った場合は、
恐怖心が増すのだろうか。

そうだとすると、
死の恐怖を増しているのは、
病院の責任ということになるかな。



「亡くなった人も、ずっとそばで見守っていてくれている」「この世を去ったあとも、自分の存在や思い、言葉は、人の心の中に生き続ける」と考えて欲しいと思います。p155

亡くなった人に見守られているなという感覚は、
私の中にもなんとなくある気がするし、
その人の存在が、自分の中で生きているなという感覚も、あるように思う。

自分が死ぬ番に、
自分の存在を引き継いでくれるだろうと思われる人が、
自分にとって大切な人、ということになるのだな。

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