看護師父さんの仕事と生活の記録

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zoom RSS イタリア人と日本人、どっちがバカ?  ファブリツィオ グラッセッリ

<<   作成日時 : 2016/05/06 09:49   >>

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著者は、
「イタリアで最も古い伝統と権威をもつ文化団体の東京支部会長」ということで、
古きよき時代のことを美化しすぎているような気も少しましたが、
イタリアの歴史が少しわかった気がして、
面白かったです。


一部抜粋しながら感想を書きます。




イタリアの政治についての記述

つまり、右派、左派を問わず、歴代政府の閣僚たちがやってきた仕事は、敢えて極論すれば、国民が汗水たらして働き、納めてきた税金を、ただひたすら、自分のバックについている利権集団のふところに流し込むことだったのです。
 さらに悪いことに、歴代政府は、前の政府が作った「無駄遣い」の仕組みに手を付けて、改善するということを、ほとんど放棄してきました。なぜなら、前政権が作った「無駄遣い」を正す前例をつくれば、確実に敵を作り、次の選挙に支障をきたしかねませんし、今度は自分たちが作る「無駄遣い」の構造が、次にやってくる政権担当者によって壊されてしまいます。p45


民主主義というのは、
どこの国でもこのような側面があるのかなと思う。

みんなの意見といっても、
意見をする人は自分の利益にかなうように意見をするわけで、
同じような意見をする人が多ければ、
そちらの人の利益が優先されるようになる。

一人の人が、真剣に良いことだと考えてやっていることが、
他の人にとっては「悪」になることもある。

どんな些細な行動も、
誰かの利益になったり、不利益になったりするので、
少し我慢したり、でもやっぱり、と主張したり、
そういうことの繰り返し。


そして政治というのはきっと、
究極的に理想的な世の中に近づく過程ではなくて、
常に起きてくる問題に、どちらが良いかと常に考え続け、失敗し続ける覚悟。

正しいことなんて全然わからなくても、
それでも、できるだけ正しくありたいという気持ちと、自分は本当に正しいのだろうか?という疑問を失わないで、
行動し続けること。




古き良きイタリア人の姿

旅行者たちは知りませんでした。彼らイタリアの野民たちが、朝は4時、5時に起き出して、まだあたりが暗いうちから、働いていたことを。そうして10時間以上もつらい農作業に従事し、働きづめに働いた末に、疲れ果てて休んでいるだけであることを。
 実際のイタリア農民は、土曜も日曜もなく、1年365日、休むことなく朝から晩まで働くことを、疑問もなく受け入れてきた人々でした。
 このようにして、北ヨーロッパからやってきたインテリの旅行者たちが、イタリアの(特に南イタリアの)農民たちの表面上の生活風景を目にして、勝手に抱いた幻想―理想郷の中で気楽に暮らす人々、というイメージが、「イタリア人はあまり働かない」という、「偏見」の、おおもとになったのです。p105


外国人旅行者たちが憧れ、賞賛してやまなかったイタリアの「自然の風景」は実は本当の「手つかずの自然」ではありませんでした。アルプス山脈やアペニン山脈の、標高2000メートルを超えるような高地は別として、イタリアの国土の大部分の景観は、人の手が入って―つまり農民たちの労働によって、作りあげられたものなのです。p105

この辺りのことは、
日本人の多くが農民だったころと重なるのだと思います。

しかし、
金融などで利益を得ている様子がハイエナのように描かれるのも、
外部の人間から見た偏見が含まれていることなのでしょう。




たとえベルルスコーニがこのまま力を失い、二度と政治の表舞台で主人公になれなくても、その力を失わずに、保ち続ける人たちがいます。それは、彼と、彼の政党の背後についていた、ロビイストやブレーンたちです。銀行家や、経済の専門家、大企業の経営者などからなる彼ら、すなわち政治家の「背後についている人々」は、ベルルスコーニのように自分自身が直接政治の世界に足を踏み入れなくとも、陰から国の政治・経済を牛耳ることで、十分「おいしい思い」ができることを、よく知っていました。そして現在、政治家の個人的権限と存在意義はどんどん小さくなり、彼らの「背後にいる人々」が、わが物顔に、政治決定に口を出すようになっています。こうなるともはや政治家は、彼のバックにいる人々の、たんなるスポークスマン、もっと露骨な表現をすれば、操り人形に過ぎなくなります。p166

政治家をみるときには、
この人は誰の操り人形だろうかと考えることも必要なのかもしれません。

しかし、
まったくだれにも操られていない人というのも、
いないだろうとは思います。

そういう人は、
一体何者なのかよくわからなくなってしまう。

自分自身にしてみても、
いろいろな人に影響を受けて、
いろいろな人に操られているともいえるかもしれない。

なるべくその操りから自由でいようとは試みますが。




私がここで協調しておきたいのは、モンティは、イタリア人がすぐに求めたがる、絶対的な「救世主」などではないということです。彼らが今やろうとしているのは、あくまでも「国際金融市場の混乱」を避ける、ということです。イタリアの「一般庶民の生活」を救おうとしているわけではないのです。あくまでも庶民の視点に立つならば、「モンティ政権はイタリアを救えない」・・・・・いや、「救わない」と言えるでしょう。p192

国民の生活を守ることと、国際金融市場を安定させるということ。

このバランスをとる必要性が、
今では多くの国で高まっているのでしょう。

資本家と労働者の闘いは、
おそろしく巨大なものとの闘いになってしまって、
労働者にはもう勝ち目がない、もしくは、戦うことすらできない、ような気もしてきます。




誰か強いリーダーに、この国を「引っ張って行ってほしい」というのは、民主主義の社会に生きる人間としては、横着すぎる発想なのだという事に、日本人は気が付くべきです。p208

強いリーダーを求めることは、
弱いリーダー(一国の首相をするような人はすでに十分強いのでしょうけど)には不満ばかり浮かんでしまうのと同じなのかもしれません。

不満ばかり浮かんで何も実行できない状況ならば、
強いリーダーに有無を言わせずに実行してもらうか、
という案も浮かんできます。

強いリーダーを求めずに物事を前に進めるには、
不満ばかりいいつのって、なにもできない状態を経験しつくすことも、
必要なことなのかもしれません。




まず家庭の中で、この国と世界の「今」と「未来」について「真剣に話し合う」というところから始まります。つまりこれは、家庭から始まる「静かな革命」です。家族同士で日常的に、社会や政治の事を語り合うということを、今、日本人はほとんどしていないでしょう?まずはそれを実行し、未来を担う子供たちの、社会や政治に対する意識を高める事から始めましょう。そして、単なる受験テクニックではない、本物の「知」を子供たちに与えてあげるのです。そうすれば、他社に対する無関心や、社会的な無力案にとらわれていない、日本の、新しいジェネレーションが育つはずです。p247

本書の最後の方の記述が、スタート地点。

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