看護師父さんの仕事と生活の記録

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zoom RSS 遊ぶヴィゴツキー ロイス ホルツマン (著) 茂呂 雄二 (翻訳) その2

<<   作成日時 : 2016/02/11 23:14   >>

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この本の感想のその2。

その1は、

遊ぶヴィゴツキー ロイス ホルツマン (著) 茂呂 雄二 (翻訳) その1 看護師父さんの仕事と生活の記録/ウェブリブログ



アイデンティティについて語られた部分。

私の理解では、私たちの文化の負の側面は、子どもたちが文化的社会的な適応へとパフォーマンスしていくにしたがって、持続的な発達の潜在能力がだんだん制約されてしまうことである。パフォーマンスを通して学習したことが、しだいに定型化され固定化されていく。中学校(非常にまれなケースでのみ、zpdとして機能する)に行くころには、子どもたちは一定の役割を演じるスキルが向上し、新しいパフォーマンスを創造する(つまり発達する)ことができなくなってしまう。大人になるころには、大人の人は「こういう人物」としてのアイデンティティを確立して、一定のことを(一定のしかたで)し、一定のやり方で感じる人物になってしまう。他のやり方は「自分であること」にとって「正しく」ないものになってしまう。これが、人びとがセラピーに持ち込むアイデンティティの正体である。p47

アイデンティティは、世界に開かれたり洗練されたりすることへの(意図せざる)抵抗ないし沈黙である。私たちは、ときに意識的に―外国に行ったときなど、「私はアメリカ人だ」と思うように、―または無意識的に―たくさんの十代の若者が大きな声を出しながら公共の場にやって来たときに身を固くするなど―、アイデンティティによって応答する。私たちは皆、アイデンティティによって制約されている。時や場所によって度合いもさまざまであるが、自分のキャラクターをはみ出して何かするのは、心地よくないし怖い。固定したアイデンティティは若者をとくに保守的にする。とりわけ、有色の貧困層や移民の若者を引っ込み思案にし、人生の旅にブレーキをかける。p124

zpdといのは、
このページを参考にしてください。

最近接発達領域(ZPD)

アイデンティティというのもは、成長するには邪魔になるということだと思う。

アイデンティティというのは、自分自身による自分自身の決めつけ、先入観、固定観念、
そして、あきらめ。

例えば、
このような親に、こういう育て方をされたから、今の自分はこうなんだ、
とか考えるのは、
ひとつの見方としてはありだと思うけど、
今の自分がどんなだったとしても、そういう自分でいつづける必要なんて全くないはずだから、
そんなアイデンティティなんてくそくらえだと思って捨ててしまえばいいのに、
結局は自分が、そのアイデンティティを、大切にしているのだな。



人びとはそもそもパフォーマンスする人であり、考える人や知る人ではないのだ。p51

行動がまず最初にある。

その意味では、
考えることも、知ることも、
他者がいることで成り立つ行動であり、
パフォーマンス。

悲しむことも、笑うことも、怒ることも、
他者に向けられたパフォーマンス。

一人で悩んでいることも、
実際には、誰かがいるから「一人で悩む」という行動が現れる。

誰もいなかったら、
ただ「悩む」というだけのこと。

一人で悩んで、
寂しいよ、つらいよ、誰か助けてよ、
って、パフォーマンスしている。

こうやって書いている私も、
パフォーマンスをしているだけだけど。

普段はあまり考えないことや、普段はあまり使わない言葉を使って、
普段とは少し違う自分をパフォーマンスしている。

それが、学習することらしいので。



「パフォーマンス」について書かれた部分をもう少し。

よちよち歩きの赤ちゃんの生活は、ほとんど終わることのない活動の連続であり、何度もく何度も繰り返したり、何かまったく違ったことをやったりするなかで、今やっていることをやめ、そこから全く新しい何かを作り出す。学齢期の子どもたちは、この重要な生活体験をまったくと言ってよいほどもつことができず、言われたことをやり、完成するまで一つの課題に集中し、ミスをしないことが期待される。意識的に創造されたパフォーマンスは、学齢期の子どもと大人にとって、「乳幼児期と同じ場面を再び演じる」ことを可能にする。このような機会を与えたのは、彼らにパフォーマンスによって学び―感じ―つながり―生きるやり方を生み出したいという思いからだった。p86

発達的に数学を学習するには、どう話すかを知らないままに、数学の話してとしてパフォーマンスする必要がある。このように(つまり方法論的に考えれば)、「学校の教科」の学習者になることは、「赤ちゃん」の片言とたいした違いはない。両方とも、社会的な完成によって意味が作り出される活動である。p87

「何が起こるかわからないことに満足するまで取り組むことができる」というフレーズはとても美しい。それは、子どもたちが学ぶなかでパフォーマンスし、パフォーマンスするなかで学ぶときに可能となる。情動と認知の統合を捉えている。p100

パフォーマンスは、永続と変化の二者択一、私であるかないかといったリアリティー・パラダイムの嘘の皮を剥ぐのである。人は永続しながら変化し続け、自分自身でありながら自分以外の誰かでもある。舞台上でアイデンティティをパフォーマンスする経験/活動によって、人びとは心理学的構成体としてのアイデンティティを超えることができ、自分自身を理解し、自分につながることが可能になる。p110

簡単に言うと、おそらく、
普段はしないことをやってみたらいい、
ということだと思う。

普段感じるように感じないでみたり、
普段考えるように考えないようにしてみる。

普段使う言葉を使わず、
普段行う行動をしない。

普段、すぐに怒る人だとしたら、
すぐに怒らない人を演じてみる。

そうやって演じているとだんだんと、
すぐに怒らない人になっていく、
ということだと思う。



「他者」と継続的につながりつつ他者を取り込む人間実践が、きわめてユニークなかたちで人間の学習と発達を形成するp108

例えば何か習い事をしているとき、
大切なのは教えられている内容ではなく、
教えてくれる人と継続的に接して、
その人に憧れ、その人のようになりたいと思い、その人のようにふるまってみること、
なのだろう。



まだ、つづきます。

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