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zoom RSS アドラー心理学入門 岸見一郎

<<   作成日時 : 2015/11/15 17:01   >>

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Kindleで読みました。

とても面白かったです。



以下、
参考になったと思うところの抜粋。


子供や育児に関する部分。

子どもを適切に教育するためには、子どもを育て結局のところどんな大人になってもらうかということについてはっきりと常に意識していなければなりません。さもなければ目先の対応に終始することになってしまいます。location 348

普通子どものことを愛していない親はないでしょう。しかし子どもを愛しているということだけでただちに子どもとの関係がよくなるわけではありません。愛があるからいいコミュニケーションが成立するのではなく、むしろいいコミュニケーションがあるところに愛の感情は生まれる、愛の感情はうまくいっている対人関係ではなく結果である、と考えます。 location 542

そこで不適切な行動には注目しない一方で、適切な行動に注目します。そうすることによって、やがて不適切な行動は減っていきます。適切な行動をすることで注目されるのであれば、ことさらに不適切な行動をしてまで注目されようとする必要はないからです。location 597

いいコミュニケーションがあるところに愛の感情は生まれる。

「やさしさ」とか「思いやり」というのは、
具体的な行動なのだなと思いました。



子供に対して、とくに私自身ができていないなと思ったところ。

頼まれもしないのに、手出しや口出しをすると、苦境にあるときにはいつでも親が助けてくれると考えて子どもは依存的になってしまうかもしれません。そうなると、自分には能力があるとは思えないようになるかもしれません。 location 784

子どもについていえば、子どもが自分でできることを親が肩代わりしてはいけない、と思います。子どもたちの仕事をとりあげることは、子どもたちに自分が貢献でき、能力があるという信念を発達させる機会を奪うことになるからです。自分の力で達成できれば、自信がつくものです。location 1108

勉強しようとしない子どもにあなたはやればできるのに、といったら決して勉強をしないというのと同じケースであるわけです。そのような子どもたちは、やればできるという可能性を残しておきたいのであって、実際に勉強してできないという現実に直面することを恐れるのです(*)。location 1581

子供のやることに、口を出したり手を出したりしすぎているなと、
日々思っているのだけど、ついつい出てしまいます。

ついつい口や手が出てしまうのは、
子供を、自分よりも劣ったものと見ているせいなのだな。

以下の部分に、少しハッとしました。

ほめるというのは、能力のある人が能力のない人に、あなたは〈よい〉と上から下へと相手を判断し評価する言葉ですから、下に置かれた人は愉快ではないのです。 location 606

言葉によって問題解決を図らないことの背景には、相手を自分より劣ったものと見なしていて、話してもわからないだろうという思い込みがあるということです。 location 884

ではどうしたらよいのか?

ほめるのとは違って、すなわち、評価するのではなく、喜びを共有すること、自分の気持ちを伝えることは勇気づけになります。当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか、「うれしい」とか「助かった」といってみます。実際には、多くの親がそんなことは当たり前だと思って見逃してしまうことが多いのです。当たり前だと思って見逃しがちな行為に対して「ありがとう」とか「うれしい」とか「助かった」というような言葉をかけることから始めます。 location 688

つまり、
子供に私の自身の気持ちを、できるだけ素直に伝えれば良いのですね。



アドラー心理学では「普通であることの勇気」という表現をしますが、普通でいる勇気がないので最初は特別よくなろうとし、次いでもしもこれが果たせない場合は、特別に悪くなろうとするのです。そうすることによって安直に「成功と優越性」を手に入れることができる、と考えます。 location 616

「普通」でいいのだなと。



感情は多くの場合相手にこちらのいうことをきかせようというふうに相手を動かすために使うのです。怒りを使うと相手がいうことを聞くだろうと考えて、怒りをその目的のために創り出します。また、悲しみという感情は相手からの同情を引くために創り出すと考えます。感情はこのように私たちの心の中にあるのではなく、私たちと相手との間にあるのです。 location 472

とくに、
「感情は多くの場合相手にこちらのいうことをきかせようというふうに相手を動かすために使う」
という部分、
気をつけたい。



大切なことは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うかである」と(『神経症の諸問題』Problems of Neurosis, p.4)。自分という道具は、他の道具とは違って取り替えることができません。この自分という道具はたしかに癖があるけれども、大切なことはこれをどうやって使いこなすかということです。そのためにはこの自分という道具を好きになる、あるいは英語の表現でいうと自分を受け入れる(accept)ことができなければなりません。location 1008

「自分という道具を使いこなす」
という考え方が、
ちょっといいなと思いました。



社会通念の押しつけ、協力の名のもとに強制、統制がなされる危険があることに絶えず敏感になっていなければならないでしょう。貢献や信頼を強制することはファシズム以外の何ものでもない、と私は考えています。 location 1174

ですよね。



劣等コンプレックスは、心の中で起こっている現象ではなくて、このようにむしろ対人関係の中でのコミュニケーションのパターンに他ならず、人生の課題を回避するための口実を持ち出すことです。持ち出される口実は、まわりのものが思わず、しかたがない、そういう理由があるのなら、と思うようなものであることが多いのです。もちろん、そういうときに他の人のみならず、自分をも欺いているのであり、アドラーは、このような口実を、「人生の嘘」と呼んでいます(『個人心理学講義』六四頁)。 location 1389

例えば人が遺伝を持ち出して自分の能力には限界があるというようなことをいうとした場合、すでにそのように遺伝を持ち出すというそのことが、人生の課題から逃れようとしている兆候であると見ることができます。自分の今のあり方について、遺伝、あるいは、これまでの親の育て方などを持ち出すことを、アドラーは因果関係があると見せかけること(semblance of causality, scheinbare Kausalität, Der Sinn des Lebens, S.23)と呼んでいます。  すなわち、実際には何も因果関係のないところに、因果関係を見出すということですが、そうすることの目的は、自分の行動の責任を他のものに転嫁することです。遺伝や親の育て方、環境等々を自分が今こんなふうになっているということの原因に見せかけるわけです。 location 1429

とても厳しい見方だと思いますが、
自分の人生が誰かに決められていると考えるよりも、
前向きな考え方だなと思います。



他の人から自分の気持ちを察してもらったり、思いやられることを期待してはいけないということであり、黙っている限りは自分の思いは人に伝わらないということを意味しています。黙っていれば誰も協力してくれません。他の人に協力を求める必要があればはっきりと言葉に出さなければなりません。location 1706

会田雄二は、察しと思いやりの世界はうまくいくと最上の世界になるが、歯車が少し食い違うと収拾がつかない憎悪とひがみの世界を作り上げてしまう、と指摘し、「察し」によるパントマイムに支えられる家庭生活の例をあげています(『日本人の意識構造』講談社)。 location 1723

思いやることも、あるいは思いやられることを期待することも、頼まれもしないのに手出し口出しするのと同様、すでに見てきた縦関係に他なりません。相手が自分では何もできないと見なすことであり、少なくとも、依頼することもできない、と見なすことだからです。location 1740

相手との付き合いが長くなると、
分かってもらえて当然みたいな思いが浮かんでくるので、
気を付けないといけないなと思います。



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