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zoom RSS 私とは何か――「個人」から「分人」へ  平野 啓一郎

<<   作成日時 : 2013/09/07 14:34   >>

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三番目の子どもが生まれてから、
仕事以外の時間はほとんど家にいる。

そうすると、
赤ん坊を抱っこしながらとか、
赤ん坊が寝ているすきにとか、
読書をする時間がわりとあったりして、
(読書をする時間しかないとも言えるが)
本が読める。

この本の言葉で言うと、
私はこのところ、赤ちゃんに対する「分人」として生きている、
ということになろうか。


本書について話をするためには、まず、
「分人」という言葉について説明をする必要がある。

不可分と思わえる「個人」を分けて、その下にさらに小さな単位を考える。そのために、本書では「分人」(dividual)という造語を導入した。「分けられる」という意味だ。p68

私という存在は、ポツンと孤独に存在しているわけではない。つねに他者との相互作用の中にしかない。p98

対する人によって、自分が変化する。

その変化のそれぞれを、
「分人」として、
「個人」というのはその「分人」の集まりとする。

ただ、
その各「分人」にも共通したところはあるだろうから、
その共通部分のことはどう考えるのだろうかと、
ちょっと思うけど。




親子の関係について。

親の前と、教師の前と、子供同士とで顔が違うというのは、子どもなりに、まったく異なる人間と、どうすればコミュニケーションが可能かを模索した結果だ。それは決して、否定すべきことではない。p123

それは当然のことだと思う。

自分にもあったけど、
自分の子供にも、
学校用の顔というものがあるだろう。

参観会などでは、
子供の学校用の顔の一部が見えるわけだけど、
それは参観会用の顔であって、
親としての存在を明らかにしながら、
子供の学校用の顔(分人)を完璧に把握することは不可能なんだろう。

不確定性原理みたなもので、
観察するという行為自体が、
子供に影響を与えることになるから。

このことは、
子供以外にも当てはまることで、
相手の他人との「分人」を、
私は完全には見ることができない。

不可能なのだとわかれば、諦めるしかないのかもしれないけど、
諦めたさらにその先が、
大切なのだと思う。




あなたが好感を抱く人間、尊敬する人間と、うまくコミュニケーションを取りたいと思うなら、そういう分人を生じさせる以外にはない。その分人が、あなたの変化の突破口になる。p92

自分を変えたかったら、
それまで接したことのない人と接するようにすればよいということかな。

この場合、自分を変えるというのは、
自分の中に新しい「分人」を創りだすということになる。

新しい「分人」は、
自分の他の「分人」にも影響を与え、
「分人」同士に共通する部分にも変化を与えるのだと思う。




学校でいじめられている人は、自分が本質的にいじめられる人間だなとど考える必要はない。それはあくまで、いじめる人間との関係の問題だ。放課後、サッカーチームで練習したり、自宅で両親と過ごしたりしている時には、快活で、楽しい自分になれると感じるなら、その分人こそを足場として、生きる道を考えるべきである。p95

どこに行ってもいじめられていたり、
快活で楽しい自分になれる場所がなかったら、
絶望的だなと思うけど、
そうならないための担保として、
いろんな「分人」を自分の中に持つということが、
大切なんだろうなと思う。

自分の子供にも、
そうしてあげられたらと思った。




対立する、あるいは無関係な二つのコミュニティを、より大きな一なる価値観で統合しようとするのではなく、双方に同時に参加する複数の人々の小さな結びつきによって融合を図る。p173

この部分を国際間に当てはめるなら、
個人個人の草の根的な交流が大切だよということだと思う。



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