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zoom RSS 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 森 博嗣

<<   作成日時 : 2013/05/10 21:15   >>

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抽象的な考え方のすすめ。

それにしても、
抽象的なタイトルだな。


まず、
本書の結論とされる部分を抜粋する。

いずれにしても、大事なことは「もうちょっと考えよう」という一言に尽きる。これが、抽象的思考に関する本書の結論といっても良い。p186

これに関連して、
「もうちょっと考える」ということが何故大切か、
ということが分かるところを、
三箇所抜粋。

慌ててどちらかに決める必要などない。ぼんやりとしたままの状態でで良いのではないか。0か一かを決めないといけない、と考えるのは「もう考えたくない」という生理的な欲求によるものだと思われる。生物は考えたくないのだ。人間だって、本能的に「考えたくない」と欲しているようだ。その方が楽だからだろう。p196

できるだけ「正しい」ものに近づきたいと願うならば、とにかく、状況が許すかぎり保留して、自分に猶予を与えるべきだ。p196

一般的にいえることは、遅い判断のほうが正しさに近い、ということだ。p196


絶対的な正しさなんてないよ、
ということだとおもう。

自分には自分の正しさがあるように、
相手には相手の正しさがあり、
自分の正しさも絶対ではないと思えれば、
相手の立場にたって考えられるので、
無駄に衝突をさけることができ、
お互いにもうちょっと考えることができる。

もうちょっと考えることで、
より正しいところにたどり着けるかもしれない。



相手の立場に立って考えるということについて、書かれた部分を、
二箇所抜粋。

さて、「我慢をする」と簡単に言っても、そこにはやはり最低限の「理解」が必要になる。「ああ、この人はきっとこんなふうに考えて、こんな態度を取っているのだろうな、まあ、このくらいのことはしかたがないか」というように、自分で納得するから、人を許すことができるようになる。「どうしてこんな馬鹿なことをするんだ?」と怒ってしまうひとは多いが、少なくとも「どうしてか」が理解できないから腹が立つのだ。それが理解できれば、「そんな理由があれば無理もないか」と考えられるし、「それならばこうしてはどうか」という手が打てることも、あるいは、「少し待てば、好転するかもしれない」としばらく時間を置くような対処もできる。冷静さに必要なのは、この「理解」なのである。p62

冷静に相手を許すためには、
理解が必要。

でも、
たまにはぶつかってもいいとはおもう。

お互いに違う人間なわけだから、
ぶつかっても仕方がない。

ぶつかったあとには、
ぶつかった理由を、
お互いに理解しようとできるのなら。

そこでまた、
深まるものもあるのだろうと思う。

個人的にも、
そういう体験があることによって、
人として深まるのかもしれないし。


どう感じるのか、という感覚的なものは、誰もが「自分」でしか体験できない。ようするに、人間は「自分」しか経験したことがないのである。言葉や行動などで外部に表れ観察できる感情はほんの一部であって、感じたことの大部分は自身にしか知られない。また、感じることと同様に、考えることも、自分でしか体験できない。人が考えてているとき、その頭の内部を覗き見ることはできない。したがって、他者がどう考えるのかを想像するには、自分がどう考えるのかをよく観察していることが不可欠になる。p68

相手を理解するためには、
相手をよく観察する必要があるように見えて、
本当は自分を観察することが大切ということだな。

自分が相手と同じような状況になったら、
自分ならどうするかな?
ということを考えてみてはじめて、
相手の考えをわずかながら想像することができる。


好き嫌いについて。

具体的な思考しかできない人は、最初の印象が悪ければ「嫌い」になり、良ければ「好き」になる。でも、いつかはやはり「嫌い」になる。浅いも深いもわからない。「嫌い」になると、すぐに離れてしまうから、「好き」に戻ることは滅多にない。感情的な判断とはこういうものだ。明らかに一面だけで捉えているので、本当の価値を見逃すことが多い。p72

物事を好き嫌いだけで判断してしまうと、
結局は大抵の物を嫌いになってしまう。

感情というのは、
おもったより信用が置けないもので、
大好きな食べ物も、
食べ過ぎたら嫌いになるかもしれないし、
100年の恋も一時に冷めることもある。

では何を信用したら良いのかということになるだろうけど、
そのへんは自分で考えるしかない。

好きか嫌いかだけで判断せず、
「もうちょっと考えてみよう」ということだな。


他者との関係について書かれたところを、
二箇所抜粋。

抽象的思考をする人は、どんな人間からでも、自分の利益になる発想を拾えることを経験的に知っている。それだらかこそ、自然に人の話に耳を傾けるようになる。「こいつの話なんか聞いてもしかたがない」とか、「この本は読んでもなにも得るところがない」といったふうには考えないし、さきほども書いたように、「好き嫌い」で情報を遮断するような先入観も持たない。素直に見て、素直に受け取ることができるのは、どんなものにでも自分の役に立つようなヒントが見出せる、という極めて単純な理由のためだ。
結果的に、これができる人間は、他者との関係を大事にするだろうし、たとえ自分と意見が違っていても、相手を尊重するという姿勢がごく自然に取れるようになる。さらに、そういう人は、他者から信頼されるし、べつに自分を売り込まなくても、自然に人から親しまれるポテンシャルを持っている。p74


自分自身にも、
自分の子供にも、
こういう考え方が身についてほしいなと思う。

自分自身のことを、
完全に理解したり把握したりということはできないわけで、
全ての人は、
そういうややこしさを持った存在であり、
さらには、
他人を観察することが、自分を観察することと同義なら、
どんな相手からも、
学べることは尽きないのだな。


人間関係においても、具体的なものに拘らず、相手が必要なのはどんな理由なのか、という一番大切なことを理解していれば、ほとんどの問題は解決できるだろう。仲違いをしたりするのは、やはり細かい言葉とか行動とか、あるいは解釈の違いとか、タイミングのずれとか、そういった具体的なものが引き金となる。ふと、基本に立ち返って、この相手は自分に必要かどうか、と考えるだけで、ずいぶん冷静になれるはずであり、細かいことなどどうだって良くなるかもしれない。p86

細かいことでも、
どうでも良くならないことはあると思うし、
相手にとっては細かいことでも、
自分にとっては細かいことだとは思えないこともあるだろう。

しかし、
それで無くなってしまって良い関係でない限りは、
「許す」ということが大切なんだろうなと思う。

大抵のことは許してしまえる、
器の大きさが欲しいところ。


知識について。

知らないから不安になるという人が多いけれど、誰も本当のところは知らないということくらいは、知っておいた方が良い。専門家は、比較的詳しいというだけだ。それは、過去のデータを沢山知っているにすぎない。未来のことを知っているわけではない。だから、実際にこれからどうなるのかを知っている人間はいない。それなのに、「教えてくれ」「きちんと説明してほしい」と詰め寄ろうとする。これも、考えることをせず、ただ知ろうとしている姿だ。自分で少し考えるだけで、かなり理解が深まるのに、それをせず、ただ知ろう知ろうとするから、疑心暗鬼になって「ちゃんとすべてデータを見せてほしい」「なにか隠しているんじゃないか」と疑ってしまう。p190

過去の事実についての知識を集められるだけ集めても、
未来が分かるわけではない。

未来については、
過去のデータを集めた上で、
「もうちょっと考える」しかないのだな。


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