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zoom RSS 35歳の幸福論 藤原 和博

<<   作成日時 : 2013/01/09 16:45   >>

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35歳の教科書―今から始める戦略的人生計画  藤原 和博と合わせて読んだ。

内容はだいぶかぶるので、
どちらか読むとしたら35歳の教科書の方だろうなと思う。

本書より参考になったところ。


子育てについて。

父か母かのどちらかは、ときに「壁」にならなければならない場合がある。
「壁」になって「自由や権利」のほうではなく、「義務や責任」について教えるためです。p93

家の中で親子が友だち関係になってしまって対立がない場合、子は「いつも強い物言いをしてくる父親がウザイ」とか「なにかと学校で起こったことを詮索する母親がけむたい」とか、自然な感情を育てることなく成長します。
すると、当然、家をでようとする自立心が削がれますよね。p93


親が壁になるということは、
あえてしなくても自然にそうなるのではないかと思う。

子どものことを心配に思う親の自然な気持ちが、
子どもにとっては重たくなる。

親が何も言ってこなかったとしても、
子どもが親の視線を感じることができるなら、
その視線の届かない所に行ってみたくなる。

逆に親が、
家の中においても完全に他人のようだと、
そこから出ていきたいという気持ちがわかなくなるのではないだろうか。

子供に対して、
赤の他人にするように気を使っているとしたら。

そういうことってあるのだろうか?
とは思うけど。



学校について

「波風は立てないほうがいい」と親が(親心を発揮して子どもの居心地優先で)考える傾向は、その親自身が批判する学校の「事勿れ主義」を補強してしまうという、思わぬ結果にも結びついていきます。
理由はこうです
本当は「事あれ主義」のほうがはるかに教育的効果が高いのに、親が皆、居心地を優先して学校にクレームを言ってくるようになると、ただでさえ前例主義に陥りがちな先生たちが、さらに保守的にならざるを得なくなるからです。p103


波風は立てないほうがいい、
という親の考えかたが、
学校における「事勿れ主義」につながるというのは、
意外なことではないだろうと思う。

波風を立てないというのは、
要するに「事勿れ主義」のことだろう。

それから、
波風が立ったほうが、そこにいる人が成長できる、
のだとしたら、
大人が所属する「職場」などの社会においても、
ある程度波風は立てたほうが良いのかもしれない。

あるいは、
「家族」という社会においても。

私などは、ついつい、
波風が立たないように行動してしまうのだけど、
自分の行動を少し改めてみようかと思った。



結婚について

でも、私はこうも考える。
結婚は修正主義を学ぶための研修である
「結婚」という契約によってお互いの自由を制限することで、逆にクリエイティブになれるのではないか、と。
お金があって何でも自由に買えちゃったら、何か工夫して創ろうとか誰かから借りてこようとは考えない。制限されることで、より人生が面白くなることがある。
それと、正解同士が結婚するわけではないから、常にベクトルは別々に向くわけで、その葛藤こそがお互いを成長させるのではないか、とも。p126


自由を制限することで逆にクリエイティブになれる、
という部分は、
論理にちょっと無理があるような気もする。

もともとクリエイティブな人は、
制限がない方が良いに決まっているだろうから。

ただ、普通の人には、
「自由」は制限されて始めてわかることなのかもしれないとは思う。

結婚して子供ができて、
休日も家族サービスだったりすると、
子供も妻もいない日曜日があったらいいなぁ、
とか、想像してしまうけど、
あったらあったで、特にすることもなかったりする。

まあ、たっぷり時間があったら、
映画を見たり、本を読んだり、旅行をしたり、
したいなとは思うが、
でも私が一人でそういう事してたら、
恐ろしく味気なく感じるだろうな。

一人で生きられる人は、
とてもクリエイティブな人なんだと思う。



人に会うときにするべきこと

相手のことを調べられるだけ調べておきましょう。
相手のことをなるべく多様な切り口からヒアリングしましょう。
次回はどのように会うのかなど、行動の約束をして別れましょう。p161


これは意識してみようと思った。



コミュニティについて

結局、人間がどこで育つかと言えば、やっぱり、学校や家だけでなく、コミュニティのなかで起こるコミュニケーションに揉まれて育つ。
ですから、よく言われる「教育を再生する」という言葉は誤りだろうと思います。
再生すべきは「新しい公共」とも呼ばれる「中間集団(コミュニティ)」のほうなんです。p175


このことは最近よく考える。

私としては、
豊かなコミュニティがあるかなという思いもあって、
田舎に引っ越したというのがあるのだけど、
コミュニティは自分で参加して作り出していくものなんだということに、
最近少し気がついた。



宗教について

ある行為をしたときに、自分しかいない場所で、かりに誰にも見つからなかったとしても、なにものか(亡くなったオジイちゃんでも神様でも仏様でも誰でもいいのですが)に見られているかもしれない、という感覚。
また、何かが上手くいったとしても、それをまったく自分の個別具体的な能力の御陰だとは考えない態度。
こういう感覚のことを「宗教的」というのだと思います。p244


こういう感覚が全くない人がいるとしたら、
恐ろしい。



そのほか。

すべて「物語」が生まれるほうへ、生まれるほうへ、と動くこと。p208

これはいい言葉だなと思った。


人生の豊かさとは何か?
一言で言えば、それは、「いかに、会話を豊かにするか」ということです。p210


極論したらそういうことなのかもしれない。






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